罪を憎んで人を憎まず

罪を憎んで人を憎まず、とはよくいったものです。
実践できるかというとまったく別の話なんだけどね

例えば電車のって片手で本読みながら
つり革に掴まると嫌に柔らかい感触が伝わってきた。
見るとつり革の内側にガムが貼り付けられてるわけです。

この不快加減ったら形容しがたいね。
このとき見ず知らずの人間の唾液で湿ったガムを恨んで
犯人に殺意抱かない人間ってそんなにいる?
何をどう考えたらこんなに悪意に満ち満ちた嫌がらせができんの?
あ〜もうほんとなんなの?ペトベトするよ?
不快感不快感アンド不快感だよ?なんなんだよもう!


とまあ一通りキレたわけですけど
たぶんこの場合の罪を憎んで人を憎まず
というのはその後の行動にあると思うんですね。

そのとき私が考えた次にすべき行動は

  1. 自分と同じ気持ちになる人がいないようガムを綺麗に取る
  2. 嫌悪感で見たくもないのでガムを放置して去る
  3. 自分も噛んだガムをつり革の内側つけて誰かにも自分と同じ思いをしてもらう


何を選んだかというと迷いもせず2ですよね。


でも帰って念入りに手を洗ったところで気づいたんだけど
これ2と3って根本的に同じじゃないかなあ。
そのときの心情の大半は「気持ち悪いからもう触りたくない」
だったわけだけど、たぶんその片隅の片隅のほうに
自分の不快な思いを誰かにも味わってもらおうみたいな
クソみたいな気持ちが少なからずあったです。

んで話を最初に戻しますと、
ガム内側にくっつけたやつはそりゃあもう
救いようのないクズなのは当たり前なんだけど
今回の私のように人を恨むだけ恨んだら
次は恨まれる側になるんだなってこと。

たぶん私がつり革から離れていったのを見てから
同じつり革を掴んだ人は、
「あいつこれ知ってて取らなかったんだな」
ぐらい思うかもしれないし思わないかもしれない。

でもそのときにはなんていうか、
「罪を憎んで人を憎まずバトン」
私ではなく次の人に廻っているわけです。

これってすごい怖いことよ。


とまあ長々書いたわけだけど
結局のところ何がいいたいかというと、

ガムをつり革の内側にくっつけるやつは人間の屑。